逢魔ケ刻

sokuze2007-01-19

 誰だろう彼は、という時間帯だ。一日が暮れようとする刻限、
人は家路を急ぎ、鳥は塒を目差す。たそがれどきだ。
 千歳烏山の北方に寺町がある。関東大震災で転居をやむなく
された各宗派の寺が隣接すること十数院。その一番はずれに、
「高源院」がある。方丈を備えた禅宗寺院だ。
 湧水によるその池に、秋口から子連れの鴨が越冬の為飛来する。
春の到来を待って、故国に飛び去るまでの数ヶ月をここで暮らすのだ。
 
 真上の空は青空に雲が浮かび、冬の穏やかな一日の余韻を帯び、
その空を映した池の真ん中で水面に円周を刻みながら、雄鳥と雌鳥がひたすら右に旋回する。
番の鳥たちはやがてこの円から直線の接線を曳いて、池の畔へ離れてゆく。
 別の一対は、強く弱く波動を違えながら、円を微妙にずらしつつ周回している。

 日が落ち池に影が濃くなる。すでに中ノ島で憩う鳥たちもそれぞれの居場所を
確保し、浮かれた番だけが岸近くの茂みの影を縫いながら今宵の落ち着き先を
探しているかのようである。